投稿者 : admin 投稿日時: 2011-03-29 18:37:00 (1246 ヒット)

3月20日 宮城県石巻市へ
 宮城県石巻市は津波で大きな被害を受けた街です。そこに入ったボランティアから人もモノも足りない窮状を伝える連絡が入りました。
 3月20日、生活クラブやまがたのトラック2台に救援物資を満載し、米沢と神戸のボランティアとともに石巻へ向かいます。米沢からは片道4時間。生協職員は生産者の安否確認、ボランティアは避難所の現状把握と可能であれば足湯の実施。
 石巻市内は、海に近づくにつれ被害がひどくなり、流された自動車、道路に横たわる漁船、倒壊した家屋と瓦礫の山、防潮堤が壊れて浸水した道路…凄惨な光景に言葉もありません。
 辿り着いた小学校の避難所は、校庭と1階と体育館が津波に飲まれ、一面が十数cmの泥に覆われて、物資を下ろすこともままなりません。2階以上が生活の場ですが、廊下は泥だらけ、窓の外には津波の惨状が広がります。
 地震から9日も経つのに電気も水道も断絶したまま。満足な食料の配給もなく、地震後はじめての炊き出しは8日目。これが恊働センターの手配で届いた宮崎県・新燃岳の野菜で、宮崎の被災農家からの応援メッセージが読み上げられたとき、校舎中の窓が開いて拍手が沸き起こったそうです。
 まずは避難者の方々と体育館の泥の撤去にあたりました。作業が一段落する頃、自治会長の了解を得て、足湯を提供しました。会場の図書室は、2時間の間、行列が途切れることのない盛況ぶり(下写真)。
 2日間山の上でたき火を焚いて過ごした男性、3日間自宅の2階で助けを待っていた女性、工場が被災し20名ほどの従業員が行方不明のままという夫妻。話を聞くばかりで、こちらからかけられる言葉もなく、足湯のあと感謝の気持ちを表すみなさんに、ただただ頭がさがるばかりでした。

 今回の震災は未だ緊急救援の時期を脱せず、復旧・復興は阪神・淡路以上の困難が待ち受けます。TCCは今後も息長く、支援活動を継続します。


投稿者 : admin 投稿日時: 2011-03-29 18:35:52 (1321 ヒット)

3月18・19日 足湯隊始動
 地元米沢の学生も人づてで「結いのき」に集まり、ボランティアに加わるようになりました。地震から一週間目の18日、地元の若者を交えた「足湯隊」が避難所での活動をスタート。吉椿さんの指導で、お湯を張ったたらいとイスを用意し、訪れた人々に言葉をかけながら指先や手のひらのマッサージを行います。ぽつりぽつりと語られるつぶやきは被災の経験談や将来の不安。
 身も心も温まると好評の足湯ですが、そこから垣間みる現実は重く、厳しいものがあります。そんな中、数日前にボランティアに加わったばかりの地元の人々が真摯に被災者と向き合う姿は一筋の光明のようでした。


投稿者 : admin 投稿日時: 2011-03-29 18:33:36 (1318 ヒット)

3月15日 救援物資
 原発事故の状況が余談を許さない状況で、避難者は増加の一途。災害時は近所の人々でまとまって避難することが多いのですが、今回は広域災害に加えて原発事故で、避難者の出身地域も様々です。一度入った避難所から再避難を余儀なくされた人もいます。
 この日は各地から救援物資が運び込まれました。静岡県ボランティア協会から毛布500枚、九州のグリーンコープからは10tトラックで生活用品。米沢市でも市民に物資の提供を呼びかけ、生活クラブやまがたが運営するグループホーム「結いのき」が集積場所になり、受付のマニュアル作成や問い合わせの対応にあたりました。

3月16・17日 避難所
 この日から恊働センター先遣隊の吉椿雅道さんたちと合流。井上さんと共に市役所・社会福祉協議会を訪問し、今後の避難所運営やボランティアの活動方針、米沢から被災地へ向けての救援活動の展開について、要望と意見交換をしてきました。
 米沢市の避難者数は585人になり、市立体育館(上写真)は満杯。
 東北地方は寒波に見舞われ、米沢も雪に覆われました。福島の被災地は冬でも雪のない地域で、避難者は雪への備えがありません。長靴がなければ外出も出来ず、風呂に入れないまま避難以来、着の身着のままの方ばかり。体育館には液晶テレビが設置され、大人たちがストーブを囲んでニュースを見つめています。その脇ではアニメのビデオを流していて、10人近くの子どもが無言で画面に見入っていました。
 山形県内はガソリンが極端に不足していて、開店しているガソリンスタンドは朝から百台を超える車列、3時間も5時間も待って、10ℓの給油とか、途方に暮れる事態です。遠くの親類を頼るにも身動きが取れず、米沢に留まっているという話も聞きました。


投稿者 : admin 投稿日時: 2011-03-29 18:22:04 (1470 ヒット)

 3月11日に発生した東日本大震災。都市生活コミュニティセンター(TCC)では事務局長の福田和昭を現地に派遣し、災害救援を行う神戸のNGO、被災地NGO恊働センターと共に、3月13〜21日の間、救援活動を行いました。以下は、福田のレポートです。

3月13日 出発〜山形へ
 被災地NGO恊働センターの先遣隊は、震災当日の11日晩に神戸を出発、宮城県名取市や岩手県南三陸町など、津波で甚大な被害を受けた地域の調査をしていました。
 私は13日晩に神戸を出発。恊働センターのボランティアと共に北陸道経由で東北へ向かい、14日午前に山形県庁に到着しました。県災害ボランティア本部の会合に参加した後、山形県米沢市へ。神戸の震災以来お世話になっている生活クラブやまがたを訪ねます。当初はそのあと、宮城県に入り、被災地の様子を伺う予定でした。

3月14日 米沢に避難者が
 生活クラブやまがたは米沢市と災害時応援協定を結んでいます。
 14日午前、米沢市の危機管理室から生活クラブやまがたの井上肇理事長に「福島からの避難者が続々と米沢にきている」と一報がありました。
 福島第一原発の事故を受け、県境を越えて逃れてきた人が14日時点で100名超。米沢市は震度5の揺れがあったものの、ライフラインも無事で大きな被害はなかったのですが、急遽、避難者の受け入れに追われました。
 私たちも米沢に留まり、避難所の環境整備や救援物資の受け入れ、ボランティア活動の準備にあたりました。


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